コーポラティブハウス大井町「GB」竣工しました!
- 2016/10/15
- 18:34
コーポラティブハウス大井町「正式名称:GB」が8月末に竣工引渡しを迎えました。
私道の奥に見える、真っ白な建物。
私が担当した中では初めてかもしれません。
白く、白く果てしなく白く、地中海沿岸沿いにある景色で見たことのあるような白い建物。
(当然ながら、その地中海沿岸沿いに実際に行ったことはありません…。)
白亜のお城みたいな感じです。
毎回、毎回お引渡しをした後に思うのですが、
どうしてここにコーポラティブハウスを計画したのだろうか?
・土地が売っていたから⇒大前提
・土地が割安だったから⇒大前提
・土地が気に入ったから⇒大前提
・人気のある街だから⇒好みが分かれる
・周辺の環境が良かったから⇒主観が入る
・土地勘があったから⇒以前、私自身西大井に住んでいたから
なんて、色々と指折り数えてみたりするのです。
大井町でコーポラティブハウスを計画するという事に関しては、
実際のところ私自身、担当したエリアが世田谷区、杉並区が多かったこともあり、
最初は正直なところ、参加者が集まるのかなぁ~、価格は適正なのかなぁ~、
などなど、色々と悩むところも多かったことを今でも思い出します。
ですが、やはりマイナスとプラスを天秤にかけてみて、
数ミリでもプラスのお皿が傾いた様に見えるのであれば…「よし、やってみよう!」
という事になるのでした。
最初にアクションを起こしたのは、
2014年の2月4日でした。
大井町の土地を仲介されている不動産業者の方にお電話をし、逸る気持ちを抑えきれずに、
「お、大井町のと、土地を、買いたい、会って話したい。」
不動産業者の方、
「ち、ちょっと焦りなさんな、まずは資料を見てもらってからに…。」
「そ、そうですね…。」
直ぐにアポを取って会いに行こうとしたところを、
まるで合気道の達人、その道うん十年、齢90歳を超える様な爺やを前にして、
組み手の構えをしただけで、「参りました!!」と言わしめる程の身のかわし方に、ちょっとした恐怖を感じるくらいに、
ヒラリと我が身の横をすり抜けて行きました。

最初の計画地は駐車場と地主の平屋がありました。
隣の敷地には蔵のある古い日本家屋がありました。
後に、この家屋は火災で全焼してしまいまして、現在は蔵のみ残っております。

ここにどんな建物が出来上がるのかなぁ~と思いながら敷地を眺め、
その後、設計者が作成した図面を見ながらイメージを膨らませました。
図面と計画地の様々な箇所から見た映像を頭の中でリンクさせ、出来上がった建物に入って窓から外を見たイメージをし、
まだ完成する前の建物をホログラムの様に映し出す作業(当然頭の中だけです)を恐らく回数で表現は出来ませんが、
オーバーに言えば何万回も繰り返しました。
時に朝、会社に出勤する途中、完成する建物の映像イメージにどっぷりと浸されている脳みその影響でしょうか、
駅の階段を踏み外す事度々、他の通勤途中の方の靴を後ろから踏んでしまう事度々、
(振り返り睨まれても、下を向いてやり過ごすべし、心の中ではごめんなさい。)
そんな日々を過ごす毎日でした。
そして、そこから約2年半ですか~。
長かったですけど、気が付けば「あれ、建ってしまった」という気もします。

完成した建物バルコニーから見た蔵。
ご近隣の方から戦時中はこの蔵が爆風から守ってくれた様なエピソードを聞きました。

引渡し直後の雨の建物外観です。
もっと建物が良くわかる写真を掲載しなさいな!と言われるところでしょう。
別に勿体ぶるわけではありませんが、今回はこれだけにしておきましょう。
また、色々とエピソードを気分次第でブログに書きたいなぁと思います。
私道の奥に見える、真っ白な建物。
私が担当した中では初めてかもしれません。
白く、白く果てしなく白く、地中海沿岸沿いにある景色で見たことのあるような白い建物。
(当然ながら、その地中海沿岸沿いに実際に行ったことはありません…。)
白亜のお城みたいな感じです。
毎回、毎回お引渡しをした後に思うのですが、
どうしてここにコーポラティブハウスを計画したのだろうか?
・土地が売っていたから⇒大前提
・土地が割安だったから⇒大前提
・土地が気に入ったから⇒大前提
・人気のある街だから⇒好みが分かれる
・周辺の環境が良かったから⇒主観が入る
・土地勘があったから⇒以前、私自身西大井に住んでいたから
なんて、色々と指折り数えてみたりするのです。
大井町でコーポラティブハウスを計画するという事に関しては、
実際のところ私自身、担当したエリアが世田谷区、杉並区が多かったこともあり、
最初は正直なところ、参加者が集まるのかなぁ~、価格は適正なのかなぁ~、
などなど、色々と悩むところも多かったことを今でも思い出します。
ですが、やはりマイナスとプラスを天秤にかけてみて、
数ミリでもプラスのお皿が傾いた様に見えるのであれば…「よし、やってみよう!」
という事になるのでした。
最初にアクションを起こしたのは、
2014年の2月4日でした。
大井町の土地を仲介されている不動産業者の方にお電話をし、逸る気持ちを抑えきれずに、
「お、大井町のと、土地を、買いたい、会って話したい。」
不動産業者の方、
「ち、ちょっと焦りなさんな、まずは資料を見てもらってからに…。」
「そ、そうですね…。」
直ぐにアポを取って会いに行こうとしたところを、
まるで合気道の達人、その道うん十年、齢90歳を超える様な爺やを前にして、
組み手の構えをしただけで、「参りました!!」と言わしめる程の身のかわし方に、ちょっとした恐怖を感じるくらいに、
ヒラリと我が身の横をすり抜けて行きました。

最初の計画地は駐車場と地主の平屋がありました。
隣の敷地には蔵のある古い日本家屋がありました。
後に、この家屋は火災で全焼してしまいまして、現在は蔵のみ残っております。

ここにどんな建物が出来上がるのかなぁ~と思いながら敷地を眺め、
その後、設計者が作成した図面を見ながらイメージを膨らませました。
図面と計画地の様々な箇所から見た映像を頭の中でリンクさせ、出来上がった建物に入って窓から外を見たイメージをし、
まだ完成する前の建物をホログラムの様に映し出す作業(当然頭の中だけです)を恐らく回数で表現は出来ませんが、
オーバーに言えば何万回も繰り返しました。
時に朝、会社に出勤する途中、完成する建物の映像イメージにどっぷりと浸されている脳みその影響でしょうか、
駅の階段を踏み外す事度々、他の通勤途中の方の靴を後ろから踏んでしまう事度々、
(振り返り睨まれても、下を向いてやり過ごすべし、心の中ではごめんなさい。)
そんな日々を過ごす毎日でした。
そして、そこから約2年半ですか~。
長かったですけど、気が付けば「あれ、建ってしまった」という気もします。

完成した建物バルコニーから見た蔵。
ご近隣の方から戦時中はこの蔵が爆風から守ってくれた様なエピソードを聞きました。

引渡し直後の雨の建物外観です。
もっと建物が良くわかる写真を掲載しなさいな!と言われるところでしょう。
別に勿体ぶるわけではありませんが、今回はこれだけにしておきましょう。
また、色々とエピソードを気分次第でブログに書きたいなぁと思います。